千尋を目指す思索の渦

どーも。先哲の思想に触れるのが好きな学生です。

【#6 センターレベル英語】 第13回分出題の解説

どーも、ぱなそです。

 

諸事情で更新がだいぶ滞りましたが、ここからまたぼちぼち再開していこうと思います。

 

古くなった解説について

※古い解説についてなのですが、大体10回ほど離れたら非公開にさせて頂きます。

これはDropboxをあまり圧迫したくない(他に容量が大きいものを入れる関係で)という理由です。御承知ください。

 

問題☞https://twitter.com/chisuga_mai/status/1299395427612028934?s=20

 

解説☟

www.dropbox.com

【#5 センターレベル英語】 第12回分出題の解説

 どーも、ぱなそです。

 

 今回は、第12回分の解説をしていこうと思います(このところ毎日出題してることに、我ながら驚いてたりする)。

問題☞https://twitter.com/chisuga_mai/status/1295709138358374401?s=20

 

 

 解説

 先ず、空欄を埋める問題についてですが、これは問題ないでしょう。

答え:to see(一番目の選択肢)

 動詞には、後ろに続く表現として

①「to do~」しか許されない

②「doing~」しか許されない

③どちらもOK

の三種類があったことは覚えておいででしょうか。各動詞の対応については各自の勉強に委ねるとして、ここでは「promise」についてのみ軽く触れます。

 

 promiseは「(未来のこと)を約束する」動詞なので、視点は未来を向いています。ということは、指し示す「to」と相俟って①のカテゴリに入ることが理解できますね。

 

 続いては、またまた整序問題です。これは、ちょっと意地悪問題です(;^ω^)

答え:do not think he would

 次のようにした方はいませんか? ☞think he would not do

 残念ながら、これは今回の解答にはなりません。「文法的には間違ってないじゃん!」という声が聞こえそうで、たしかにそれは尤もな主張なのですが、”自然な”英語かと言われるとNOです。

 日本語だと、「~とは思わない」や「~ではないと思う」と両方の表現がありますが、英語だと「I do not think ~」一辺倒になります。

 クセとして覚えておくと、何かの役に立つかもしれませんね。

 

今回は以上です。また次回、お会いしましょう。お疲れさまでした。

「教養」の是非

教養は身に着けるべきもの?

突然ですが、「教養主義」という字面を見て、私は面白いと思いました。この感想自体が既に「教養主義」に陥っていることの証左なのかもしれませんが、とにかく私は関心を持ちました。

「〇〇主義」というと、私たちはどうしてもある種のイデオロギーのような強烈な印象を受けがちですが、皆さんは、どのように感じましたか?

憤りを感じた、などと言う人がいても不思議ではないと思います。

教育施設に足繁く通い、良い成績を取るために試験勉強に励む–これは、学生時代を過ごした方なら誰しもが経験するもので、この目的は「教養」を身に着けることにある、と小さい頃からずっとインプリンティング(刷り込み)されてきたことでしょう。大学によっては「教養学部」と銘打つ学部を擁するところもあり、それほどに重視されている「教養」というもの。

それが「主義」というある種のイデオロギーの形態をとって現れるということの真意について、今回は書いていきたいと思います。

 

「教養」の定義立て

wikipediaで「教養主義」と検索してみると、「教養」について三つほどの群に分けて別個の定義付けを紹介していました。どれが是であるということはないようで、それぞれに賛否両論があるようです。

私個人としては、これらに初めて目を通した時にひとつピンときたことがあります。

それは、A、B、C群どれもが、教養という言葉が使われるとき近くで語られる理念であった、ということです。だから、私からすると、「うんうん、そうだね!」と何の抵抗も無くそれらの定義を目で追ってしまえたのです。先程の「主義」という言葉を考えると、私はそのイデオロギーに完全に同化してしまっているとしてもおかしくないのでしょう。

 

現代教育の基本指針

ところで皆さんは、プラグマティスという思想をご存知ですか?

「そんなん知らん!」と言う人でも、少なからずその思想の影響下で過ごしたことがあるのは疑いようもありません。何故なら、現代の日本の教育指針がプラグマティスムの考えを色濃く反映しているからなんですね。特に、デューイという人の名前は覚えておいて損は無いと思います。なんといっても、この人が「諸悪」の根源ですから!

–というのは冗談として置いておいて、プラグマティスムの基本理念は、道具主義です。つまり「役に立つか立たないか」が評価基準となるのですが、その対象は道具に限らず、「知識」でさえも含んでしまう。そうした理念を唱えたのが、デューイです。彼(デューイ)は教育においてもプラグマティスムを導入し、「問題解決型学習」というものを考えました。

(以下、wikipedia「問題解決学習」のページより抜粋)

「教師が予め準備した授業案に従って学習するのではなく、与えられたテーマ(たとえば「私たちの町」というテーマ)について、個々の生徒が平素、疑問に思っていることについて、それぞれそれはどうしてだろう?と考え、その仮説が理にかなうかどうか、自分たちの足や頭、インタビューや実地調査をして確認していく。もし外れているなら、また新しい仮説として立ててみる。その悪戦苦闘を繰り返す、試行錯誤のプロセスの中に、学習の目的があるし、またその過程そのものが学習といってもいい、とデューイは考えた。すなわち、最終的に答え・正しい解決に到達したかどうかよりも、むしろその過程を重要視する学習理論 といえる。

教師が準備し、設計したステップを踏んで学んでいく系統学習 ではなく、生徒自身の自発性、関心、能動的な姿勢から、自ら体験的に学んでいく努力の価値を評価するということである。人によっては、課題解決学習という言い方をすることもある。そうした学習方法のひとつの具体例として、生徒自らが問題を作り、解くというものがある。」

 これを読んで頂ければ分かるように、「アクティブ・ラーニング」や「リベラル・アーツ」といった教育プログラムが上述のスタイルに合致します。そして、こういったものを組み込んだカリキュラムが、「教養」を深めさせる授業として展開されています。その名分は無論、専門性の高い内容を扱う段階において基礎的な教養は必須事項である、というものです。ここでいう「教養」は、イデオロギーほどの重さを持っていないだろう、というのが私の感想です。

では、教養主義」で語られる「教養」とは一体どんなものなのでしょうか。 

 

教養主義」で括られる思想家たち

 「教養主義」という言葉を聞いて、どんな有名人が括られているのか調べてみたところ、夏目漱石西田幾多郎といった私でも知っているような人たちの名前が見受けられました。

夏目漱石といえば、いわゆる啓蒙思想に関わりがありますよね。明治の文明開化において、彼はエゴイズムなど人間の業について考察を重ねました。それは、彼が遺した数々の著作に垣間見ることができ、そして彼のそうした遺作は今なお研究されています。彼は東京帝国大学を卒業し、同大学の講師を経験し、また英国への留学も経験している。つまり、当時からしてみると、かなりの「知識人」の層に階級分けされるんですよね。

西田幾多郎に関しては、彼は西田哲学と呼ばれるまでに自身の思想を深めたわけですから、漏れなく教養人であると言えるでしょう。彼は「善の研究」というタイトル著作を発表しました。これはちょうど関東大震災の年に発行されたもので、被災し苦しい生活を強いられていた人々の心を導くうえでも非常に大き役割を担いました。(彼の思想は非常に面白いので、また別の機会にトピックを立てることにします。)

こうしてみると、啓蒙という形で人々に知識を授けていたわけですから、彼らの存在は非常に有意義なものであったように見受けられます。実際そうして授けられた知識というものから派生して色々な社会変革の運動が巻き起こりました。現代の価値観からしても意義のあったものもあれば、許容することはできないようなものもあったでしょう。

 ここで、彼らを括る同類項として「啓蒙主義」というものがあります。西田などは少し外れるかもしれませんが、漱石に関してはぴったりと当てはまります。啓蒙主義という言葉は、それ自体に暗に批判的な色合いを持っています。「何も知らずそれ故に自分たちよりも劣った存在である市民に、自分たちが教えてやっているのだ」という上から目線な意識が強く批判を呼んだ原因のひとつです。 

これと同じ考え方をするならば、「教養主義」というものも同様に、批判的な視線で見られていると考えられます。

教養というものは、誰しもが広く身に着けるべきものであり、生活を豊かにしてくれるものです。教養という小難しい言葉を使わずとも、「勉強」して得た知識というものは最低限度の生活を営む上で不可欠なものだというのは、皆さんにも共感して頂けることと思います。

つまり私が思い至ったのは、教養という言葉それ自体ではなく、教養を伝える発信者側になにか闇が隠されているのではないか、ということです–ちょうど、啓蒙主義が批判されたように。 

 

三島由紀夫という存在

「私は今までどうしても日本の知識人というものが、思想というものに力があって、知識というものに力があって、それだけで人間の上に君臨しているという形が嫌いで嫌いでたまらなかった」

全学連の諸君がやったことの、全ては肯定しないけれども、ある日本の大正教養主義からきた知識人のうぬぼれというものの鼻を叩き割ったという功績は絶対に認めます」 

 

三島由紀夫は東大全共闘との討論で、「教養主義」という言葉を用いていました。

そしてそのテクストは、上の抜粋(強調は私が行いました)から見ても分かるように、明らかに教養の発信者側への疑念です。自分たちが日本の民草の先導者としての立ち位置にいる、というどこか驕った態度は、学があることをステータスにしてそこで立ち止まってしまったことへの反省を促すものだと思います。

 

  全共闘のときに脚光を浴びた芥正彦は、どこか鼻にかけたような教養人のきらいがあるように思ったり思わなかったり。

 

無知は罪

 ここまで教養が悪いのかなんだと教養を否定的に捉えがちになっていましたが、結局のところは他の主義主張と同じで、発信者の側が作った像としての「教養」が議論になっていることがなんとなくではありますが掴めました。

 

 教養はあって困るものではありません。知らないことが多いということは、それだけで大損する可能性も大いにあるのが現実です。”無知は罪”と言う言葉があるように、情報が持つ力や価値の重みを理解することです。しかし、そういった情報を他者を蹴落とす道具として使うことは、教養主義のやってきたこととなんら大差ないということを、ここで述べて、お終いにしたいと思います。

 

 考えながらダラダラ書いてたので、まとまりというか収集はついてないと思いますが、私の中でひと段落したのでここまでとします。

 

以上

【#4 センターレベル英語】 第11回分出題の解説

 どーも、ぱなそです。

 

 第11回分の解説はpdfではなく、直接ここに記述していきたいと思います。

 

問題☞https://twitter.com/chisuga_mai/status/1295443892473434112?s=20

整序問題であることについて

 今回はいつもとは意匠を変えて、並び替え問題にしてみましたがいかがだったでしょうか。

 センターは並び替えというよりは、正しいものを二択のうちから三回選んで文章を完成させるような問題が出題されていた記憶があります。しかし、二次試験になると、こういった感じの完全な整序問題が出題されるところもありますから、きちんと対策しておいて損は無いと思います。

 

解説

【答え】get it off of me

 前半部だけを先ずは検討してみると、動詞は「get」しかありませんからこれを主軸にして文を組み立てるのが吉でしょう。と言っても、getは単純な単語なだけに守備範囲がべらぼうに広いので、よく考える必要はあるのですが……。

 例えば、ぱっと思いつくのは、「off」と組み合わせて「get off O」で「Oから降りる」とかでしょうか? ですが、それだと何から降りるのか、その目的語に最適なものが選択肢の中に無いので困りますね。「it」や「me」は候補にはなりそうですが、もしここでそれらを使ってしまうと、「of」を使う余地が無くなってしまうので却下です。

 かといって、「of」と「get」のコンビネーションなんて聞いたことありませんでしょうから、やはり「off」と組み合わせるしかなさそうです。

 

 ネタばらしをすると、今回は、「get O off」で「Oを引き離す」という熟語を出題していました。getとoffのニュアンスの組み合わせとして、比較的すんなり入ってくるイディオムではないでしょうか?

 本問の答えを出すうえで、ヒントになるのは、やはり二文目の"eerie"という単語ですね。これは、ニュアンスとしては”キモい”―ぞわぞわって鳥肌立つ感じ(でも、creepyとはまたちょっと違う……)。毛がもわもわした蜘蛛とか見つけたときに使う(?)と思います。

 「it」が蜘蛛のことを指していると想像すると、分かり易いかもしれません。選択肢中の「it」と二文目の「it」は共に同じものを指していることは明白ですから、シチュエーションとしては、キモい蜘蛛が手にちょこんと乗っているのに気付いたとしましょう。

 気付いた人が、「それ(キモい蜘蛛)を取ってよ!」と言ってる。その発言が、問題の整序になっていました。

 

以上です。また次回、お会いしましょう。お疲れ様でした。

【#3 センターレベル英語】 第10回分出題の解説

どーも、ぱなそです。

 

☆今回は、第10回分の解説を掲載します。

 

問題☞https://twitter.com/chisuga_mai/status/1294975966956023808?s=20

解説☟

www.dropbox.com

【#2 センターレベル英語】第1~8回分出題の解説

どーも、ぱなそです。

 

☆今回は、前回の記事の最後に言っていた第1~8回分の解説を以下に共有しておきます。

 

解説☟

 

www.dropbox.com (令和2年8月16日21時30分 更新)

 

【第1回/4月24日分】

問題☞https://twitter.com/chisuga_mai/status/1253681081481486337?s=20

 

【第2回/4月26日分】

問題☞https://twitter.com/chisuga_mai/status/1254366138940547072?s=20

 

【第3回/5月31日分】

問題☞https://twitter.com/chisuga_mai/status/1266972725458792450?s=20

 

【第4回/7月15日分】

問題☞https://twitter.com/chisuga_mai/status/1283268985807495169?s=20

 

【第5回/7月17日分】

問題☞https://twitter.com/chisuga_mai/status/1284032835918036992?s=20

 

【第6回/7月18日分】

問題☞https://twitter.com/chisuga_mai/status/1284421217315778562?s=20

 

【第7回/7月19日分】

問題☞https://twitter.com/chisuga_mai/status/1284828025675104256?s=20

 

【第8回/8月5日分】

問題☞https://twitter.com/chisuga_mai/status/1290995365517254656?s=20

【#1 センターレベル英語】第9回分出題の解説

 どーも、ぱなそ(twitter/@chisuga_mai)です。

 

 この度、Twitterの方でアンケート機能を使って出題している”#センターレベル英語”について、ある程度の解説を付けることにいたしました。もっとも、第9回目から御参加の方も居られるでしょうから、そもそものコンセプトについてまずは簡単に御説明差し上げましょう。

 

#センターレベル英語のコンセプト

そもそも……

 今年度(令和三年度)からは従来のセンター試験に代わって共通テストが一次試験として採用されることになりましたが、現在受験に臨まれる方の大半は「センター試験」という言葉に耳馴染みがあるのかなぁと思い、センターレベルという呼称は継続して使っています。

チョット悩む問題を作問!

 センターレベルとしているのは、難易度がそれくらいの、「程良く悩むけど、教科書で見たことある問題」をコンセプトにしているからです。現在は隔日(隔週…?)で出題しているのですが、特に分野に拘って出題しているということは御座いません。私のその日の気分で、穴埋めや整序問題を作っています。その点、著作権などは一切問題ありません(ある?)。

 レベル詐欺と言われる問題もこれまでに数回出題してしまいましたが、二次試験でも大体の大学は英語が必須でしょうから、ここで少しアタマの体操をしておくとよいのではないでしょうか。

※出題ミスや、疑問点等はお気軽にお問い合わせください。TwitterのDMでも、毎回の解答を貼り付ける記事のコメント機能を利用してくださってもどちらでも構いません。

 

 私からは以上です。何回目まで続くかは分かりませんが、一緒に頑張りましょう!

 

 

☆今回は、第9回目の解説を掲載します。

問題☞https://twitter.com/chisuga_mai/status/1294555258102804480?s=20

解答及び解説☟

www.dropbox.com

 

(追伸)

第1~8回目分の解説は、出来上がったらまとめてアップロードしたいと思います。